つくる会東京三多摩支部の渡辺眞です。

「ぬるい」地の愛媛から、ある「伊予人」が、茨城支部長川又さんと東京支部長島崎さんと東京三多摩支部長の私がつくる会本部役員に出した意見書のことを地震だと矮小化している。しかし意見書そのものへの批判となっていない。

まず、茨城支部の川又さんを批判する際に「茨城は維新回天には何の役にも立たなかった歴史をお忘れでしょうか」と皮肉っている。私は維新回天の最大の功績は水戸浪士が井伊直弼を討ったことにあると信じている。「何の役にも立たなかった」などと茨城や水戸を冒瀆するべきではない。「ぬるい」地の「伊予人」からそう貶されれば、彼らは激昂するに違いない。それに今回の申入れに何の関係も無いことである。意見書に対する批判は受け入れるが、それを出した人の地域を批判するとは何事か。私は愛媛の秋山兄弟を尊敬するが、その愛媛から、このような人が生み出されたのかと唖然とするしかない。

この伊予人は昨年のつくる会の総会からの顛末を全然知らないらしい。私達は何度もつくる会の窮状をこのML等でその都度伝えさせていただいたが、それを理解できずにいたのであろう。その理解力の無さをカバーするために仲良し論を打ち出しているのである。悲しいことに、ここに日本人の思考の重大な欠陥が現れている。

「失敗の本質」と言う本がかつて出た。そこに書かれている先の大戦における軍人の行動はやはり、仲良し論、お友達主義、同期生主義、馴れ合い主義である。ある作戦に失敗した指揮官を咎めずに、「まあまあ、彼は同期(あるいは陸士何期、海兵何期)ではないか、そんなにいじめるな」とかして、一時的に予備役にすることでお茶をにごすのだ。そのせいで、その作戦は何故失敗したのかという研究が徹底的に行なわれない。その失敗が次の成功の母にならないのである。同じ失敗が又行われてしまうのだ。

「和をもって尊しとなす」のは聖徳太子以来の我が国の精神ではあるが、和を尊ぶ余り、仲間はずれにされたくない気持ちが起こり、理非曲直を正すことの腰を折るいう欠点が出てくる。

「市長与党」と言う考え方もこれに似ている。地方議員のさも国会なみのことをしているという思い上がりと利権の側の多数派の中にいるという安心感が地方政治をダメにしている。ネットや公明党などどっちつかずのグループの推進する男女平等や子供権利、自治基本条例が全国的に広がるのは、バカな保守系市長の「選挙民受け狙い」と保守議員の「市長与党」という考え方だ。自分たちの仲間が内閣を作る議員内閣制だが、市長選挙と市議選は別に市民の支持を得るのに、議員が市長の提案する全てに無批判に賛成する与党を名乗ることで、フェミニズムや人権ファシズムが広がっていく。議員の仕事は議論である。その議論を自ら封じて、市長側に刷り寄る。市長も長時間の議論を嫌がり、しゃんしゃんで済ましたがる。その議論自体を保守の分裂行為だと無能な議員は有能な議員を多数で押さえ込もうとする。

つくる会の話に戻る。八木さんはかつてアエラの記事で「南京事件や慰安婦などの論争的な問題にこだわるのではなく、もっと歴史を大局的に見たものにしたい、朝日新聞に批判されるようなものにはならないはずですよ」と語っている。シナと韓国のいつもながらの歴史捏造宣伝とそれにおもねる朝日などの反日メディアのせいで、藤岡先生が言うように、いまや「従軍慰安婦」と「南京大虐殺」は国政の2大テーマになったのだ。ところが安倍さんは私らの期待に応えず、アメリカでも謝罪を繰り返している。ここに産経・扶桑社、八木さん、安倍総理の失敗の共通点が見えるではないか。謝罪を繰り返す教科書が「日本人が日本人に目覚める教科書」になるはずが無いではないか。

このことに言及しないで愚にもつかない、薩長同盟論などを持ち出し、我々をシナ、アメリカの歴史認識論に同調させようとするその隠れた意図に注意しなければならない。