聖火リレー、五星紅旗だらけの長野、その分析
4月26日の長野の状況はテレビ、新聞で伝えられているから、それを詳細伝えても時間の無駄だ。その報道の間違いは正さねばならない。「中国人が4人軽傷を負った」と報道されているが、「日本人はその何倍も軽傷以上の怪我をした」と言う報道が抜けている。私の知り合いのN氏は金属製のポールで頭を殴られ、裂傷を負った、仲間の一人は頬を強烈に殴られて、病院に行った。足を蹴られた人は大勢いる。蹴るのは女もする。警察はイトウヨーカドー前の闘いで女性老人を救ってくれなかったと言われる。
シナ人の学生はチベットの歴史を教えられていない。そのことは想像していたが、120万人虐殺のプラカードを見せると「ウソツキ」の大合唱が始まったのだ。
長野に集まったシナ人は4種類いた。一番多いのが留学生、白い「大阪大学」のTシャツを着ている集団を私は実際見た。友人の市議は「名古屋工業大学」の集団を見たという。第2の種類は彼らに指示を出す30歳ぐらいの男たち、服装は留学生と同様の私服。彼らは留学生の行動を指揮している。あるときはシュプレヒコールを先導し、あるときは抑制させる。大使館員か大使館に臨時に所属した軍人かもしれない。第3種類はやくざに見える中年の男、顔が下卑て見えるから、政府の人間ではないのは確か。たいてい中年ぶとりで禿げている。その下っ端らしいものも大勢いた。第4種類は報道関係。共産中国の報道だから当然、演出する。インタビュワーの女はインタビューしつつ手を振り、シュプレヒコールを唱和させる。後ろについているカメラマンもその指示に従って、気勢のあがったショットを撮っている。とくにPRESSのゼッケンを着けたものたちはカメラを持ったデモ隊のような行動をした。間に入った警察官の列の後ろから集団で押すのである。みるみるちにわが方は後退してつまづき、倒れるとそこをさらに押し捲って写真を撮るのである。こいつらを警察は抑止できなかった
5000人を動員したということは50人乗りのバスで100台が長野に集まったのだ。彼らはその前の晩に新宿や大阪の出たのである。3時が4時に着いて、5時半ごろまで車内、仮眠させて、市内に吐き出したのである。6時前から長野駅前は騒然たる雰囲気で大勢で気勢を上げたり、歌を歌った行進している。6時過ぎには駅前の歩道はほとんど分捕り合戦は終ってしまった。人数はシナ側が圧倒的ではあるが、我々側も徐々に増強された。長野駅に着いた日本側もシナ側も駅前のどこかの歩道に吸収されたはずだ。ということは駅から離れたところは初期の人数から増えていかない。駅前には我々屈強な人間がいるから、集中的に被害をうけるということは無かったが、イトウヨーカドーの前に陣取った我々の味方は老人女性が多く、警察官も手薄だったこともあり、集中的に攻撃を受けた。そこには在日朝鮮人がシナ人の味方をして攻撃してきたという。
写真で見るような巨大な紅旗がなぜ必要なのか、聖火リレーを迎えるには普通は小旗であろう。彼らは小旗を持ってはいるがその小旗よりも多く大きな旗、巨大な旗を林立させている。何のためか、シナ人の威勢を他に示そうというのだろう。国威発揚のためだろう。日本人を畏れさせようということだろう。こんな本数の旗を誰が用意したのか、学生ではない。中国政府が行ったに相違ない。しかし人数を増やそうと、中国やくざを動員したのはまずかった。その醜悪が世界に知られてしまったぞ。
今回の長野へのシナ人の留学生は我々日本人の税金を使って日本の大学で勉強できている。特に国立大学はその教育費は国費、すなわち税金だ。対中国への資金提供はすべて日本人への被害となって降りかかってきていることが今回明らかになった。
シナ政府は今回の長野侵略の成功を次回どこで再現させようとするだろうか。国会周辺であの行動をさせたら、日本の国会は機能停止に陥る。自衛隊が出動して治安維持をしなければならない。自衛隊が直ちに強烈な手段を取らなければならない。そのときシナ大使館から大量の武器が学生ややくざに手渡されよう。霞ヶ関で熾烈な市街戦が繰り広げられよう。
しかし、長野でシナ人留学生は自分で叫ぶことを知った。叫ぶ内容は政府から洗脳されたことではあるが、大声で叫ぶ快感を知った。だが、彼らは我々の掲げた、チベット国旗、東トルキスタンの旗、我々のプラカード、我々が拡大したチベット人虐殺死体の写真も見たはずだ。共産政府に反対すれば、自分も写真の死体のようになるということも理解しただろう。そのようにして一人でも多く、一日も早く共産中国から逃げ出してもらいたい。留学生は年取ってから、写真に写っているような醜悪なやくざやその下っ端みたいになりたくないだろう。
長野に地方議員は10名程度しか来なかったはずだ。駅前に行くべきだったという仲間の議員がくやしがること。国会議員の誰も私は見ていない。この長野人口侵略の状況こそ国会議員がまず知らなければならない。そして率先して足を蹴られて見るべきだった。日本政府の政策の間違いを身にしみて理解するはずだ。
駅前では警察官はよく職務を果たした。我々とシナ人の衝突を防ぐための青いロープを張り巡らしたり、アルミの通行止めを並べたり、プラスチックの防護盾を持して我々とシナ人の前に立ちふさがったりした。警察官がいたから我々劣勢な日本人が守られたのである。そうでなければめちゃくちゃに叩きのめされていただろう。我々が戦ったから、チベットを救えの声が世界に届いたのである。前の晩にはシナ人はボールペンを武器として持参するようにと指令が出ていたという。また唐辛子の混ざった水を入れたペットボトルも持参するように指示が出たとも聞いたがその被害は一切無かった。ポリスアカデミーのキャップをかぶった若い集団がいたが彼らはこの4月から警察学校に入学した者たちであろう。これから柔道、剣道、柔剣道で体を鍛えてもらいたい。今の体力ではシナ人に跳ね飛ばされてしまうぞ。長野市内を走り回る数台の車は、紅旗を何本も大きく出して、身を乗り出し、大声を挙げるシナ人が乗っていた。これを警察は取り締まらなかった。この情景は世界に伝えられたのだろうか。
若里公園では式典に我々やチベット人を全く遠ざけた。どこで式典が行われているのか、いつ終ったのか分からなかったという。我々は手薄だったから、初めから式典会場の場所取りが出来なかったのであろう。式典はシナ人だけの重包囲のなかで行われたのだ。
創価学会が若い者を大量に動員するといううわさもあったが、それらしき集団は全く見なかった。