3月議会で私は「共産党とネットと日教組は子供権利条例を待っている」という表題で一般質問しました。その続きをはじめに質問します。子供権利条例素案の策定に関与したおとな会議の人たちはいまだに氏名を公開されていないのですけれど、「日野市子供の権利条例素案に寄せられたご意見に対する回答」という今年3月の文書がありますが、ここの3ページに「日野市個人情報保護条例第十一条2項にもとづき、本人に同意が得ることができれば公開できます」と書いてあります。また三月議会の私の一般質問に答えて、米田子供部長は「今後、メンバーの同意をとる作業をする」と約束したが、9か月後の現在、いまだにそれが果たされていない、どうなったのですか。子育て課長は大人会議に一回でも参加した人の名前も公開すると約束してくれているのですが。

「子供部長答弁」

「日野市子供の権利条例素案に寄せられたご意見にたいする回答」という文書が今年19年3月に出ています私が申し上げたのは、その文書が「市民のパブリックコメントにまともに答えていない、市民の良識的意見を尊重せず、分析もせず、まともに答えず、単なる独りよがりの空想論や観念論を書き連ねている」ということでした。子供部長の答弁は「条例をつくってもいじめや虐待がなくなったという他市の実例は集めていない」「それらを少しでも減らしていこうというのが日野市の意思をこめてこの条例を作りたい」「子供を健全に育成するために子供の権利を守る」「子供が主張するすべての権利を認めてやることはない、発達段階にあわせて助言や支援を行うべきだ」と答弁しています。市長は最後に「市民のコメントは、ご不満のある方がほとんど提出するのである。その不満の声だけを聞けというのはやや間違いだ」とおっしゃられた。これらのことを子供部長は思い出されましたか

「子供部長答弁」

確認していただきありがとうございました。その三月の一般質問のあと答弁書を頂きましたので、それを元に新たな質問をしますのでよろしくお願いします。

■パブリックコメントは有効なものが163通でその中の103通が子供権利条例素案に反対でした。市はこの集計結果を重視すべきだと思いますが、先ほど紹介した三月での市長のご答弁「市民のコメントはご不満な人が提出するのだ」と言うことで片付けられてしまうのでしょうか、氏名が公開されていない人からなる、おとな会議の意見を条例化するなどの重要視をしていながら、氏名、住所を記述して提出した市民のパブリックコメントは無視されてしまうということは、市民参画を推進している市長の重大な言動の矛盾ではありませんか。

「子供部長答弁」

■子供への犯罪、虐待、苛めは既に子供権利条例の施行した自治体で実際に減ったのかという質問に対して、「調べていない」との答弁がありました。その後、子育て課長は「収集する」と約束した。その後調べたかどうか、その結果はどうだったのかお聞きしたい。

「子供部長答弁」

「政府見解のとおり日野市子供権利条例素案に書かれているさまざまな権利は憲法、児童憲章、現行法令によって保障されている」という答弁の後、「一方、地方分権・地方主体の時代だから、子供への痛ましい権利侵害が顕著化している現在、このような子供の権利を保障し、守る事を日野市の重要課題として施策展開していくことを明らかにするために条例を作るのだ」と答弁しています。部長のこの答弁は非常に重大な論理を含んでいるので、それを議論したい。

「子供権利条例をつくりたい理由」は「子供は児童虐待やいじめなどの権利侵害を受けているから、権利を保障してやる必要がある」ということですが、まず児童虐待やいじめは私は児童迫害だと単純に考えるけど「権利侵害」だsいう。ここに子供権利条例そのものの重大なトリックが潜んでいるのです。人権擁護法のときと同じです。今の世の中には暴力や差別などの人権侵害があるというのとおなじです。この定義を認めてしまうと、「権利侵害」を「権利」と「侵害」を分けられ、「権利は侵害されてはならない」と思ってしまいますよね。その次は「権利は守ってやらなくてはいけない」「子供権利は守ってやらなければならない」となってしまいます。しかしよく考えてください。まだ権利そのものはどういうものか定義されていないのです。

■それなら守ってやるべき子供権利はどういうものかといっていろいろ引っ張り出してくる。行使させる権利としてぞろぞろ出てくる。「遊ぶ権利」、「ありのままの権利」、「自己決定権」、「意見表明権」、「意見が尊重される権利」と30近くの権利が出てくるまで拡大してしまうのです。三一新社の「生徒人権手帳」では「学校へ行かない権利」「日の丸、君が代、元号を拒否する権利」「つまらない授業を拒否する権利」「セックスするか、しないかを自分で決める権利」まで行ってしまう。そもそも「児童虐待やいじめを受けない権利」だけだったはずなのです。この子供権利条例のトリックを部長ご自身は理解されていますか。

「子供部長答弁」

■「権利侵害から逃げる権利」というのもあるんですが、これは本当は「いじめや虐待から逃げる権利」とすべきだったんですね。

■児童虐待やいじめは「迫害」であります。これをやめさせることを主目的にするなら、子供迫害根絶条例というべきものをつくるべきなのです。

「遊ぶ、ありのまま、自己決定、意見表明、意見が尊重される」は大人が子供に対して、あるときは認め、あるときは認めないのが常識です。これらを権利として子供に刷り込んで、これを行使させようというのが子供権利の活動家が狙っていることなのです。これらを行使させるということは、子供に「遊ぶ権利、ありのままの権利、等々」がいま侵害されているか侵害されていないかという判断をさせるということです。そんな判断は小さい子供にはできるでしょうか。学習指導要領では「権利」という概念を学校で正しく勉強するのは中学三年生になってからです。学校や保育園で子供権利を刷り込まれた子供は権利が侵害されたかどうか判断できないので、自分の思い通りにならないときは、絶えず「権利が侵害された、侵害された」と訴え出るでしょう。静かな家庭がめちゃくちゃになってしまう。きちんとしたしつけができなくなってしまう。その被害にあった家族は裁判所に、日野市を告訴する可能性もある。ご見解を伺いたい

「子供部長答弁」

■そういう子供に権利を刷り込み、行使させることは、子供にナイフの使い方を教えずに与えてしまうことと同じです。遊ぶ等々の権利がないと虐待かと逆に考えれば、全くそうではないのだから。

「日野市子供の権利条例素案に寄せられたご意見に対する回答」という文書の「6オンブズパーソン、子供の権利委員会について」という章に、こういう文章があります

「最初は子供が権利を侵害されたと感じたところから始まります。しかし感じたことは即権利侵害とされるわけではありません。子供の発達段階によっては、権利の理解が不十分であることも想定できます。おとなと子供の関係においては、大人がトータルな権利意識をもって判断していかなければなりません。また、他者や他の権利とのバランスから考えると、権利侵害と考えられない場合は、子供ときちんと話し合うことが大切です。しかしすべての大人がトータルな権利意識を持っているとは限らず、また子供同士での権利侵害も想定できます」というものです。分かり難い文でしょう。

■この文章の言っていることを分かりやすく、しかも短く言うと「子供は保障されるべき30の権利のどれかを侵害されたと感じることもあるだろうが、大人は広い世間の常識をもって、子供と話して、諭してやることが大切だ。しかしすべての大人がそういう広い常識をもっているとはいえない。子供同士でのいじめもある」ということでありまして、これを書いた人自身が、どう文章をまとめるかわからなくなってしまっているのであります。この続きをどうしたら良いのでしょうか

「子供部長答弁」

先ほどの文章をみると、今の「子供権利条例素案が策定されれば子供は権利の主張をはじめ、権利が侵害されたと言い出す、訴えだす」と認めていることがあきらかですよね。つまり、子供権利条例は子供に権利があると大人に認識させることとともに、子供にもそれを教えて、その権利を行使するように、そそのかすことを目的としているからです。

また答弁では「子供の健全育成は、子供の意見を聞き、尊重しつつ、対話のなかで社会のルールと主体的判断力を付けさせる事だ」としています。子供が意見表明権を振りかざして、自分の意見を通そうとしたときでも、対話が成り立つと思いこんでいる事は問題です。忙しい大人はいちいちこんな子供の言い分など聞いていられない。先ほどの文書でも、すべての大人が広い常識を持っているわけではないと書いているではありではありませんか。さらにこのごろ訳のわからない、すぐキレてしまう大人が増えているのですよ。権利の主張をした子供にいらいらして暴力を振るう大人もでてくるでしょう。権利の主張が虐待を生むことがありうるという想像力はないですか。つまり児童虐待を防ぐための子供権利条例が虐待を引き起こすということです。ご見解を伺いたい。

「子供部長答弁」

■普通の子供なら、親や大人からしつけられたり、教育されているとき、反論することは当然あることです。その反論に対し「親や大人が全て受け入れることはない」と諭しているのですが、だがこの反論を意見表明権という、条例に定められた権利としてしまうことが問題である。単なる子供の不満や理不尽な口答えさえ、法律的に意味のある意見表明権として権威付けられてしまうのである。そのことに意を強くして子供の反論やくち答えが権利の行使になってしまうのである。そうなると対話は組合交渉と同じで、権利と権限のぶつかり合いの場となる。この結果、子供の側が折れたとしても、心から納得して了解したのではなく、権利行使が挫折したと受け取られてしまうと思うのです。

このように本来、親子のふれあいや語らいであるべきものが、親子の間の(暴力は伴わないとしても)戦争となってしまうのである。そうなれば子供は社会のルールや親やおとなの指導を受け入れることを進んで身につけることをしなくなるでしょう。だから私は「子供権利を行使させることは子供の健全育成を破壊する」と考えるのであります。ご見解を伺いたい。

「子供部長答弁」

■私は子供権利には二つの方向があると考える。一つは権利行使の方向。「遊ぶ権利」「ありのままの権利」「意見表明権」などに代表されるように、子供の未熟な欲望を掻き立ててしまうもので、これを子供に刷り込み、権利が侵害されたと絶えず不満を言う人間に育ててしまうもの。この方向を日野市は取ってきた。他のものは権利擁護の方向。私はこれを以前にこの壇上で申し上げたが、「いじめや虐待を受けない権利」「長時間放置されない権利」「きちんとした、しつけ、確かな学力を身につけてもらう権利」「寝る時刻なのに引き回されない権利」「食事をきちんと与えられる権利」、「有害情報を与えられない権利」「過激な性教育を受けない権利」「純潔教育を受ける権利」「偏向教育を受けない権利」などです。実は日野市が作りたいと思っていた子供権利条例はこういうことなのではないか。それを悪い権利行使の方向に誘導されてきたのではないかと想像する。

これらの権利擁護の権利の各々は子供の生命と精神と健全な成長環境を守るべき大人の義務として規定したもので、子供に行使すべき権利として刷り込むことを狙ったものではありません。私は前者の権利行使の方向の権利には断固として反対するが、後者の子供の生きる権利、まもられる権利、育てられる権利は認めるものです。条例素案は「生きる権利、守られる権利、育つ権利」が書いてあるがその細部の一つずつは、悪い方向の権利の羅列になっているのです。

■「遊ぶ権利」はのべつ遊んでいいという権利ではないはずだ。「遊ぶ時間と場が年齢に応じて与えられる権利」として拡大解釈や歪曲されないようにすべきだし、「ありのままの権利」は「他人から強制的に考え方、個性、趣味などを変えられない権利」と正確に表す必要がある。「意見表明権」は拡大解釈されて、国旗国歌反対運動に子供が利用されないように「発達段階と場面に応じて自分の考えを表明することができる権利」などであります。しかし子供の本性として、「遊ぶ」とか「ありのままでいる」とか「思ったことを自由にいう」とか「疲れたら休む」とか当然のことをわざわざ権利にする必要があるとは思えないが。書くとすれば、子供や子供に迎合する親や、子供を政治利用とする人たちに拡大解釈されたり、歪曲解釈されたりしないように正確に書かねばならない。私は意見についてご意見を伺いたい。

「子供部長答弁」

■市は「健全育成のため子供権利が必要」というが、あとでいう日野市青少年健全育成基本方針にはそれが書いてありますか。今まで青少年問題協議会で子供権利条例の必要性が一度でも議論されたことがありますか。市は議論してくださいと頼んだことはありますか。

「子供部長答弁」・ない

青少年問題協議会の良識ある人たちは「健全育成のために子供に権利行使させることは危険だ」と思っているだろうと予測しているからではありませんか。

■さて日野市青少年問題協議会は五十年以上にわたり、日野市の青少年の健全育成に取り組んでこられた。その良識ある委員の方々の積み重ねの歴史として平成十六年に日野市青少年健全育成条例を作りました。はじめに、この青少年健全育成基本方針の目的やすばらしさを私がお伝えしたい。

基本方針が「育てよう 心豊かな日野っ子を!」で、

重点目標が 

1 「心のかよう温かい家庭を作ろう」ということでまず家庭の大切さを訴えるこの良識。 

2 「人と人とのつながりのある地域を作ろう」ということで、地域の大切さを訴える。個人からすぐ社会に飛んでしまう子供権利条例素案とはその常識の程度が違う。個人をばらばらにして社会の中に孤立させるのが、最近までの社会解体思想であります。その人間性に反する危険な非常識をこれら2行がおのずから論破しています。

3 「親も子どもも自ら進んで社会体験・自然体験の機会を増やそう」ということで体験の中で親も子供も成長していくという考えがいい。

基本方針にはすばらしい言葉がならんでいるが、少し紹介しますと

■子どもにとって家庭は、家族の温かい愛情に育まれ、心身の健やかな成長を図る場であり、大切なやすらぎの場、家庭は地域の伝統・日本の文化を伝える場でもあります。

■子どもたちに親の生き方や働く姿を通して、社会のために役立とうとする気持ちを育てることは、子どもの人間形成に大きな影響を与えます。子どもの成長にとって家庭の役割がいかに重要であるかを再認識し、親として果たすべき責任・役割を自覚し、家族のふれあいを通して、心のかよう温かな家庭づくりを推進する。

■地域社会は家庭・学校とともに、子どもが社会の一員としての自覚を持ち、自立していく場として大きな役割を持っています

■今こそ地域の教育力回復に向け、地域の人々が世代を超えて交流していく中で、豊かな人間関係を築いていくことが求められています。 全ての大人が子どもたちの成長を温かく見守りつつ、時には厳しく導いていける地域社会を作ることが重要です。

■「子どもは地域社会で育つ」という視点の基に、家庭・学校を含めた地域社会が連携し、各々の機能を十分発揮していくことで、地域社会の育成能力の向上に努めます。

■子どもが地域の様々な活動に参加したり、多様な社会体験を積み重ねること、自然保護や福祉活動などのボランティア活動に子どもの頃から関わることは、豊かな人間性を培う

これらの基本方針についてのご感想はいかがですか。

「市長答弁」

子供権利条例素案と青少年健全育成基本方針の違い、策定委員の名簿非公開と公開を差をいいます。前者は氏名をぜんぜん公開されず、後者は氏名肩書きが公開されている。校長会会長、PTA議会会長等々すばらしい人たちであります。

■青少年健全育成基本方針にあり、子供権利条例素案にないもの。健全、育成、家族、家庭、伝統・文化、自然体験、教育力、豊かな人間性等先ほど私が健全育成基本方針のよさとしてものすべてです。

■子供権利条例素案にあり、青少年健全育成基本方針にないもの。権利尊重、権利侵害、権利保障、各種権利、子供権利の日、差別、不当な扱い、仲間、相談救済体制、市民活動、子供権利委員会、こちらはなんととげとげしたものばかり。

(4)内閣府の方針「子育てを支える家族・地域のきずな」というパンフレットが先日の青少年問題協議会で配られた。中を見てびっくりした。ここ数年の、家族解体の男女共同参画思想がさっぱりなくなって「家族・地域のきずな」、「家族の日、家族の週間」「家族のつながり」「地域のつながり」「父親のサポート、母親の安心」「脳機能の発達、家族や自然とのさまざまな接触」「家族がともに喜び感激する」・・・もうやめますが、政府内閣が、すばらしい認識に立ち至ったというしかない。市としてはこの内閣府のこの呼びかけと各種の運動をどう考え、どうこれから取り組んでいかれますか。

「子供部長答弁」

この内閣府の理解の到達点は実は日野市青少年問題協議会がまとめた日野市青少年健全育成基本方針と同じところなのです。

(5)日野市はこのような時代の変化を正しく理解して、子供権利条例などという、権利と権利がぶつかり合い社会を現出させる条例の策定を直ちにやめて、日野市青少年健全育成基本方針や内閣府の進めている「家族・地域のきずな」をもとにした日野っ子育成条例を作るようにしていただきたい。市長のご見解を伺いたい。

「市長答弁」

これで一番目の質問を終わります。

 

■各種情報システムの発注に透明性を高めよ

(1)      電子入札の現状

(2)      システムやソフトの発注は現在はほとんど随契であるが、この現状はどう変えていくのか、市の方針を伺いたい。

(3)      東京都や自治体同士はシステムやソフトの共同開発をどう進めていくことになっているかお聞きしたい。

(4)      東京都が推進している統合型地図情報システムGISの現状と問題点をどう考えているか

(5)      各部課で発注しているソフトの開発の現状と問題点をお聞きしたい。

「総務部長答弁」