守屋前次官と「この国」

もう十年も前のことだ。私が東京都防衛協会青年部長で理事だったとき、理事会が守屋氏を呼んで講演を聞いたのだ。彼は次官になる数年前だったが役職名は知らない。印象的だったのは、防衛意識が全く高揚しない珍しい講演だった。当時防衛庁が六本木から市ヶ谷台に移る前で、移ったら防衛庁の見学方法がこう変わるという説明があった。一時間の話は当時の自衛隊を取り巻く色々なことであったと記憶している。その中身より彼の口振りが違和感を私を含む聴衆に与えた。なにしろ我が国というべきところを全てこの国といって一時間が経ってしまった。「この国はこうなってしまった」というような話の連続なのであった。

講演後の質問の時に、この事を私は聞いた。何故この国といい続けるのか、講演からは我が国に迫っている脅威と危機感が全く感じられなかったが、それは我が国をこの国と思い、表現しているからではないのかと質問というか詰問をしてしまった。彼にとっては大変失礼な無礼な質問であったはずだ。周りの理事つまり各県協会長や各市協会長は私の質問に拍手して仕舞ったのだから守屋氏には更に申し訳ないことだった。しかしことは重大である。我が国の防衛政策の根幹を担う防衛官僚が我が国日本をこの国と言いつづけているということは異常である。多分、他の多くの防衛官僚も同様な心的態度を我が国に抱いているのであろう。ぞっとする。かつて司馬遼太郎は「この国について」というシリーズを出していたが、「この国」ではいかにも分析的に冷たく見放した感じがするではないか。私の質問に何の回答も無く、副会長の元事務次官に送られて彼は会場を去っていった。

彼についてもう一つ。日野市防衛協会婦人部が高田駐屯地を訪ねたとき、広報館入口の目立つところに、守屋氏が高田駐屯地に与えた感謝状か表彰状があった。これも十年も前だから彼は課長か審議官かなにかでましてや部隊や機関の長ではなかったはずだ。そんな一事務官が賞状を出すこと、そしてそれを駐屯地が掲げておくということはおかしいと感じたのだった。